まだ栗仕事が残ってる

 

朝からダダダダーと文章を4000文字ほど書いて

ギターの練習をしてなんかまた弦を張り替えたくなって

仕事して、自転車で出かけてまた仕事して

暑くてどうにかなりそうなところでなんとなく風がふいてきた。

それでもまだ栗仕事がのこっている。

いやいや、正式に書くとあと30個くらい

やることがたんまり残っていて

今日やることリスト、とは、もはや書かないで

今週どこかでやることリスト、に書いている。

 

栗は蜜煮にしてお正月用にとっておく。

女の人の栗への執念はすごい。

栗にはおにがわしぶかわとかいう皮がふたしゅるいもある。

それをむくのにどれだけか時間をかけて、

だいたいみんな右手が小刻みにふるえたり、負傷したりするのに、

それでも、私は。

栗ごはんをつくって、栗の蜜煮をつくって、渋川煮をつくって、最後に

また栗ごはんでしめようとしている。

なんとしてでも、毎年やっておきたいのだ。

意地になる食べ物の執念ほど自分を褒め称えることはない。

明日は何時に起きようかな。

茅ヶ崎でのライブのことをつらつら

 

ずいぶんと日付がたってしまったけどね、

茅ヶ崎でのライブを少し振り返っていました。

二人で演奏するのは、私がギターを弾くようになってから

は・じ・め・て!

ですよ、はじめて。

細かなところを確認する時間もなく、

ただただ、自分の持ち場をしっかりとやり、

あとは息をスーハーとあわせるだけでなんとかつらぬきました。

 

子供たちもたくさんきてくれて。嬉しかったなぁ。

何よりメンバーの、もっこちゃん家族がきてくれて

なんと、次の日も遊びにきてくれて

お泊まりをした私たち家族と

朝から大宴会だったわけです。

 

いい夏休みでした。

 

母になってから、友達になった人の中で

「楽器をやっていたんです」

っていう人の、なんと多いことよ!

来年くらいからはそういう人たちに声をかけて

一緒にセッションできたらいいな、ってちょっと思ってる。

時間をやりくりするのはとても大変だけど

だからこそ、その時間は大切にしようって、

私はいつも思ってるし、

誰かの時間もきっと同じだから、

音楽をやっているからこそ、誰かの時間も大切にしようって思う。

 

よくきたねー

 

って思うもの。

それぞれにそれぞれの時間が流れているわけだから。

 

足のカサカサ

エスカレーターに乗っていたら、

私のすぐ前に立っていた、

おばあちゃんの足に目がいった。

サンダルを履いたその足のカカトが

カサカサしていて、

むしろカサカサをとおりこして、

深い傷のようになっていて、

不規則のような規則的なような、そんな。


決定的で、目が離せなかった。


つるっとした美しさもあれば、

ザラッとした美しさもあれば。

美しさ、というのは心が動く。

1ミリでも、1ミクロンでも。


いくらでも、こんな美しさには出逢えるし、

そこに沢山の多様があることも、

わかっていたし、

わかっている。

だけど、残像だ。

残像だけは、動いたあとに、

ピシャリと、動かない。

はりつく。


私の心の矛先とか光とか

駅構内の賑やかな音とか

そのサンダルの肌色とか。


写真家だったら写真を撮っていたな。


浴衣と甚平と

浴衣を着たのは何年ぶりか!

写真を撮られるのは苦手なんだけど、

ジェニーが撮影してくれるのは

いつも自然な気がするね。


9/15 茅ヶ崎でライブが決まってます。

詳細は後日。


うめぼし 2017!


うめぼし2017!できましたーたしか10キロ。

梅雨があけたというのに東京はずっと雨。

なかなか干せない日々でしたが、なんとか!

2日干せて、塩の結晶が見え隠れしているので

これにて終わり!

しばらくはこのまま放置してしばらくしたら梅酢の中へいれて保存。

嬉しいねぇ。

作り続けてるからこそ、わかることがある。

なんでも、そうね。


パンケーキの朝

鈴虫リーンリン、蝉のミーンミン。

雨音ポトリポトリ、光が。

毎回心のソコーの方からおえーーってなるくらいに感じることがある。

毎回心のソコーの方からおえーーってなるくらいに感じることがある。

2日間のイベントは朝から行列をなして

オープンと同時に会場は大賑わい。

毎回、毎回、こういう企画をした時に、

ここにもどってくるんだけど、

私たちは会場を用意していろんな諸条件をまとめて

参加してくれた人たちが来るのを待っていただけだ。

兄の言葉を借りるとしたら、私たちこそ、

「人の土俵で勝負するんじゃねぇぞ」

っていう、ところにいたのは、事実。

私が一番、嫌だなぁとおもうやつね。

 

無事に終えたこと、

またやりたいねって、みんなで騒がしく賑やかでいられたことは

本当に、身にあまる思いだったし、

いつまでたっても、こうじゃダメだなぁって思うし

だけど、これ以上は無理だし、

今をキープするのが精一杯だし、

そしてみんなのことは大好きだし。

 

1年に一度くらいのことだけど、

毎回、同じことを感じて

だけど、何も変わっていないように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿佐ヶ谷の七夕祭りへ

明日から2日間、夏祭りをするのでワタワタしているけど、準備は八分めという合言葉をおまじないに変えて、阿佐ヶ谷の七夕祭りへお散歩に。たくさんの人がお団子の匂いに誘われて、綿菓子の甘い匂いに誘われて、揚げ物の匂いに誘われて。

夏のうだるような暑さ、涼を探しに外にでる。花火大会は苦手だけども、いいねぇ、この祭りの賑やかな風情は好きだな。

どっちに転んでも明日だ。

毎回、ほんとにドキドキだなぁ。

ちょうど1年前の、せがれ。

ほんと、あまりにも可愛くて、投稿。1年前のせがれ。

今年もこの時期にお祭りみたいなことができるのは本当に嬉しい!みんな忙しいのに集まってくれることが何より嬉しい。みんなの笑顔がたくさんみれますように。8/5-6 吉祥寺キチムにて私たち主催の夏祭り、開催。

昨日の夜、のりちゃんがお祭りで販売する用のお花を持ってきてくれた。そして白くて大きな花束も、母へ、と、あまり長持ちしないけど香りを楽しんでね、と。なんかちょっと感動した。なんというか、私はこんなにも人を感動させられているのかな、喜ばせているのかな。とちょっと考えてみた。ここでもやっぱり、気持ちの差異をなくしていくこと、と感じる。

自分のやりたいことや利益を考えることは誰にだってあって、だけど、それが誰かの幸せにつながっていて誰かの笑顔になることであれば、そこに差異はない。ようは、だから、それを、仕事、っていうんだな。っていう話を、夜に泊まりにきたあゆみちゃんと話をした。私に差異はないか、そこを問う。そういえばジェニーの底抜けの明るさも大好きだ!とも話をした。そこに差異はないから、ジェニーが好きなのね、ほんと、私たち。あゆみちゃん、紹介してくれてありがとう。と、お酒をちびちび呑んだりしていた。

とはいえ、明日からは2017年の夏祭りだ、わっしょい。エンヤサー。

 

手元の数珠がほろほろと切れた日

四十九日を終えて納骨まで終えて。この夏のひと段落。その最中、初七日のことを思い出していたら、手元にあった数珠の糸が切れて、正座座りをしている私の膝下をほろほろと転がって行った。家族がふりかえってクスクスと笑って、また、何事もなかったように、前を向いてお経を聞いた。何がおこったのかと一瞬、思った、その手が止まり、目が一点を見つめて、思考が止まる。そう、この感覚。何がおこったのかと、きっと、あの時の私たちは同じように思って、そして、母もまた同じく思ったのだと思う。家族が何事もなかったように、前をむいたように、この母の死もまた、何事もなかったような顔だけはつくって前をむいていけるんだと思う。今、その話を相方にしたら、相方のも切れていた、と。不思議な出来事。

 

小さいころにずっと住んでいた家なんだけど、夜になると怖い。一人でいると、本当に怖い。音楽を聞くような雰囲気にもなれないし、テレビをつけてもどこのチャンネルも同じニュースばかりだし、呑んで過ごすか、と、呑んではみたものの。怖かった。住んでいる東京の家が怖い、という感覚はそこまでないのになぁ。住む、慣れる、親しむ、普段、気づかないことばかり。知らないうちにちゃんと自分を守るように、しているのだと思う。

 

2人の同級生と、小い頃から仲の良い従兄弟とも会った。楽しかったし、素晴らしい人たちだとも思った。

行き帰りの読書は、リニューアルしてからのクウネル。クロワッサンじゃなくて暮らしの手帖じゃなくて、クウネル、だった。

風邪をこじらせて、喉からおっさんのような咳がでる。年々、咳やあくびやため息や奇声まで、大きくなるのは気のせいかしら。

おっさん、失礼!